福岡高等裁判所宮崎支部 昭和39年(ネ)122号 判決 1985年9月04日
控訴人
有限会社久保商店
右代表者
久保祐吉
右訴訟代理人
金住則行
金住典子
控訴人
川畑善啓
右訴訟代理人
渡辺紘光
被控訴人亡山本利隆訴訟承継人被控訴人
山本常利
右同訴訟承継人被控訴人
山本常隆
右両名訴訟代理人
村田継男
主文
一 控訴人らの本件控訴を棄却する。
二 原判決主文第一ないし第三項を次のとおり更正する。
(一) 原判決主文第一項の「原告のため」を「被控訴人らに対し」と、同第二項の「原告の」を「被控訴人らの」と、訂正する。
(二) 原判決主文第三項を
「一 控訴人川畑善啓は本判決添付別紙第一目録記載の土地につき昭和三四年四月二〇日契約による亡山本利隆に対する所有権移転登記手続をせよ。」と更正する。
三 控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 控訴人ら
次の判決
(一) 原判決を取消す。
(二) 被控訴人らの請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
次の判決
本件控訴を棄却する。
第二 当事者の主張
一 原判決の引用
当事者の主張は、以下のとおり訂正、削除、附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
原判決二枚目裏四行目の「はもと」を「(以下「分割前の本件土地」ともいう)はもと」と、同三枚目裏一一行目の「こととして、」を「旨の」と、同一二行目の「基ずいて」を「基づいて」と訂正する。
同五枚目裏二行目の「右土地取得を登記する費用」を「右土地取得の登記をする費用」と、同八行目の「借金しその他」を「借金し、その他」と訂正する。
同六枚目裏一行目の「原告不知の間」を「原告の不知の間」と訂正する。
同七枚目表七行目の「会社」を「被告会社の」と、同裏六、七行目の「基ずき」をいずれも「基づき」と、同七行目の「示談契約」を「和解契約」と訂正する。
同八枚目表五行目、同末行の「事実中」を「事実中、」と訂正する。
同九枚目裏四行目の「夕子」を「タ子」と、同末行の「計企」を「計画」と訂正する。
同一〇枚目裏三行目の「行わ」を「行なわ」と、同七行目の「なんらの」を「なんらかの」と、同九行目の「常次郎は」を「常次郎には」と訂正する。
同一一枚目裏六行目の「あわよくば」を削除する。
同一二枚目表二行目の「依頼し」を「依頼してなしたものであり」と、同四行目の「甲第五号証」を「原告所持の甲第五号証」と、同行目の「被告」を「もともと被告」と、同一三行目の「返戻しないものである。」を「返戻しないで所持を続けているにすぎない。」と訂正する。
二 控訴人川畑の主張
(一) 訴外渡辺フミと訴外山本常次郎とが分割前の本件土地の半分を与えようとの話合いをしたとしても、右両名は法律上右土地の処分権限のない者であるから、贈与は成立しない。また仮りに渡辺フミに事実上、本件土地の所有権ないし処分権があつたとしても、右は単なる話にすぎず、贈与契約の成立にはいたつていない。
(二) 原判決には次のような事実誤認、経験則違反がある。
1 本件土地は右フミの意思により取得し、フミの意思により川畑家を継いだ控訴人川畑善啓が相続し、同人の所有に帰したものであつて、承継前の被控訴人亡山本利隆の所有に属するいわれがない。
2 承継前の被控訴人亡山本利隆が本件土地の固定資産税を支払つたのは原判決のように終戦後からではなく昭和二九年一〇月一九日から控訴人川畑に代つてこれを立替払したにすぎない。
3 本件土地を控訴人川畑と被控訴人山本常利で折半するとの親族八名の協議があつたとの被控訴人らの主張ないしこれを認めた原判決は親族のうち、市来シゲ、山本アイ、川畑トモの三名は被控訴人山本常利出生前に死亡しており、親族会議などなかつたことが明らかであつて、その誤りは明白である。
4 控訴人川畑が分割前の土地を分筆したのは、本件土地を承継前の被控訴人亡山本利隆に譲渡するためのものではなく、控訴人川畑において分筆後の本件土地以外の土地(換地前の一二〇番一の土地、以下「分割地」ともいう)を担保として相互信用金庫から融資を受けるためのものであつた。
(三) 被控訴人ら主張の後示四(二)の事実を認める。
三 控訴人会社の主張
(一) 控訴人会社の代表者久保祐吉は不動産競売に関し訴訟をしたのは二、三件にすぎず、それも不法占拠者に対する訴訟で正当行為であつた。また控訴人会社が設立されたのは昭和三四年一〇月であつてその後の訴提起は一件のみであるから弁護士法七三条違反などあり得ない。
(二) 控訴人会社は控訴人川畑から昭和三六年七月二七日本件土地を買受け、翌日その旨の所有権移転登記を了した。
(三) したがつて、仮りに被控訴人らが控訴人川畑から本件土地の譲渡を受けたとしても、民法一七七条に照らし、登記のある控訴人会社に対抗できない。
(四) 換地処分により本件土地は本判決別紙第一目録記載のとおりその表示が改められた。
(五) 被控訴人ら主張の後示四(二)の事実を認める。
四 被控訴人らの主張
(一) 請求の趣旨中「原告に対し」とあるのを「被控訴人らに対し」と訂正する。
(二) 被控訴人らの先代山本利隆は昭和四七年一〇月二三日死亡し、被控訴人山本常利、同山本常隆が相続して右利隆の権利義務を承継した。
(三) 控訴人会社主張の前示事実中、三(二)のうち、その所有権移転登記があること及び同(四)の事実を認めるが、その余を否認する。
(四) 控訴人川畑の前示二の主張をすべて争う。
第三 証拠<省略>
理由
第一本案前の検討
控訴人会社の支配人早出勝人が控訴人会社の訴訟代理人として原審で行なつた訴訟行為につき、被控訴人はその訴訟代理権を争うので検討するに、<証拠>を総合すると、控訴人会社は宅地建物取引業(昭和三七年六月五日廃業)、金融業を営むことを目的とするもので右原審における訴訟行為当時早出勝人をその支配人として選任しその旨の登記をしたものであつて、本訴は営業主である控訴人会社の右営業に関するものであることが認められ、これらの事実を考え併せると、右早出勝人は右原審における訴訟行為の当時控訴人会社の支配人であつて、商法三八条一項により本件訴訟につき控訴人会社に代つて裁判上の行為をなす権限、即ち訴訟代理権を有していたことが認められ、他に右認定を動かすに足る証拠がない。
第二本案の検討
一当事者間に争いのない事実等
(一) 原判決事実摘示請求原因一項の事実、即ち、「訴訟承継前の被控訴人亡山本利隆の養父山本常次郎はアイの長男、控訴人川畑善啓(以下、「控訴人善啓」ともいう)の祖母川畑トモは右アイの二女で、右常次郎の実姉である。右控訴人善啓は髙山清蔵の三男であるが、昭和一〇年一二月九日祖母に当る右トモと養子縁組をして川畑家に入籍し、トモが昭和一二年一月二七日死亡したことによりこれを相続した。前示承継前の被控訴人亡山本利隆は右山本常次郎が昭和三四年四月二二日死亡したことにより同人を相続した」事実。
(二) 被控訴人らの当審における本判決事実摘示第二の四(二)の事実、即ち、被控訴人らの先代である承継前の被控訴人亡山本利隆は昭和四七年一〇月二三日死亡し、被控訴人らが同人を相続して右利隆の権利義務を承継した事実。
(三) 原判決事実摘示請求原因二項のうち、承継前の被控訴人亡山本利隆が山本常次郎の、控訴人善啓が川畑トモの各相続人であり、被控訴人ら主張の分割前の土地、即ち鹿児島市樋之口町一二〇番宅地一四五坪八合六勺(換地面積一〇六坪八合)が元来トモの所有名義であつたところ右相続によつて不動産登記簿上控訴人善啓の所有名義になつた事実。
(四) 原判決事実摘示請求原因三項のうち、承継前の被控訴人亡山本利隆がその主張のとおり本件土地上に原判決添付別紙第二目録記載の建物を建築した事実、右建物につきその主張のとおりの各登記手続がなされたこと、右山本利隆が死亡の日まで右建物に居住しこれを占有していた事実。
(五) 原判決事実摘示請求原因四項のうち、承継前の被控訴人亡山本利隆が控訴人善啓の実父髙山清蔵にその主張のとおり昭和二五年一一月一六日から昭和二六年二月三日までの間三回に亘り合計一六万円を貸与したこと、被控訴人ら主張のとおり昭和三四年四月二四日分割前の土地を本件土地と分割地(鹿児島市樋之口町一二〇番一、宅地七二・九三坪(換地面積五三・四〇坪)に分割し、その旨の登記を了した事実。
(六) 原判決事実摘示請求原因五項のうち、分割前の土地がもと川畑市郎兵衛の子フミの所有であつて、フミはこれを同人の実家である川畑家を継ぐ者に所有させたいと考えていたこと、川畑友助から控訴人善啓までの相続関係、被控訴人山本常利が被控訴人ら主張のとおり出生した事実。
(七) 原判決事実摘示請求原因六項のうち、髙山清蔵が前示一六万円の貸金債務の返済をしなかつたこと、分割前の土地を前示のように分割し、その旨の分割登記を了した事実。
(八) 原判決事実摘示請求原因七項のうち、被控訴人ら主張のとおり本件土地につき控訴人善啓から控訴人会社に対し昭和三六年七月二七日付売買を原因とする同月二八日受付の所有権移転登記が経由されていること、同年八月一四日西田卯三郎に対し控訴人会社が本件土地上の建物収去土地明渡訴訟を提起し、右西田の欠席により勝訴判決を得た事実。
(九) 原判決事実摘示請求原因八項のうち、被控訴人ら主張のとおり昭和三六年九月二七日控訴人会社代表者久保祐吉に対し私文書偽造、同行使等被告事件が上告棄却となり懲役一年の実刑が確定し服役することになつた事実。
以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
なお、換地処分により本件土地は本判決別紙第一目録記載のとおりその表示が改められたことは控訴人会社と被控訴人らとの間に争いがなく、控訴人川畑善啓との関係では<証拠>、弁論の全趣旨によりこれが認められ、他にこれを動かすに足る証拠がない。
二分割前の土地、本件土地の所有権について
被控訴人らは、第一次的に、請求原因二項において分割前の土地が山本常次郎(被控訴人らの祖父(父の養父)に当る)と川畑トモ(控訴人善啓の祖母でかつ義母に当る)との共有であり、その後の相続により被控訴人らの先代山本利隆と控訴人善啓の共有となつたところ、原判決事実摘示請求原因四項のとおり右亡山本利隆と控訴人間の共有物分割協議により昭和三四年四月二四日、本件土地と分割地に分割し、分割地を控訴人善啓の所有とし、本件土地を右山本利隆の所有とすることになつた旨主張し、第二次的に同請求原因六項において昭和三四年二月二〇日和解契約により右山本利隆が控訴人善啓から本件土地の所有権を取得した旨主張する。
これに対し、控訴人らは、右主張を否認し、分筆前の土地はフミが明治二九年三月一八日に久木田八郎右衛門から買受け、これを昭和一〇年一二月四日トモに譲渡したものであつて、トモを相続した控訴人善啓の単独所有に属する旨主張して争い、これが最大の争点となつているので、以下この点につき検討する。
(一) 事実の認定
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
〔1〕 被控訴人らと控訴人善啓とは又従兄の関係にあり、川畑市郎兵衛を頂点とする近親者の家系ないし相続関係の概要は原判決添付別紙第三目録記載の家系図のとおりである(<証拠>略)。
〔2〕 川畑市郎兵衛には長男友助とハナ、アイ、シゲ、フミの四女があつた。
ところが、川畑家の後継ぎである長男友助は明治三〇年七月二三日四五歳で死亡し、その長男友一も明治二一年四月二一日生後わずか二ケ月で世を去り、その長女タ子も廃人同様で婿を迎えて後継人を残す能力がなく、そのまま放置しておけば川畑家は断絶する運命にあつた。
そこで、川畑市郎兵衛の四女で渡辺徳蔵の許に嫁していた渡辺フミは明治二九年三月一八日久木田八郎右衛門から分筆前の土地及び同地上の建物二棟(以下、「フミの財産」ともいう)と共に買受け、これを将来川畑家の縁故者をその後継者に迎えて同人に贈与しようと考えていた。
明治四〇年一二月二〇日川畑家直系の唯一の人間であつたタ子が二九歳で死亡し、その相続人もいなかつたので、案の定川畑家は事実上断絶の状態になり時日が経過していつた。(<証拠>略)
〔3〕 大正一五年頃フミは、姉の市来シゲ又は山本アイが古くから留守番として居住し、興正寺に説教所として貸していた前示分筆前の土地上の建物二棟のうち一棟から他へ転居したのと入替えに、同人の長男で事業に失敗し困つていた山本常次郎に対しフミの財産、即ち右土地と他の貸家一棟を管理する条件の下に無償で同建物に居住させた。
(<証拠>略)
〔4〕 昭和一〇年一二月九日頃までに前示川畑市郎兵衛の四女であるフミは存命中に一日も速やく川畑家の相続人を選びこれに前示フミの財産を譲り、同家を再興したいと考え、当時前示のとおり右財産の管理をさせていた一族の長老格にも当る山本常次郎と相談を重ねていた。常次郎は、出来れば川畑家の後継者を自己の子孫から出したいと考えたが、その子であるチヱと被控訴人らの先代山本利隆間にはなかなか子供が生れなかつたので、前同日常次郎の姉のトモの長男髙山清蔵の三男である控訴人善啓(昭和九年二月一一日生)を川畑家の跡取にすることに決めた。
そこで、川畑市郎兵衛の孫で、控訴人善啓の祖母に当る右トモが昭和九年一〇月一九日付で亡タ子の選定相続人として届出られて、川畑家の再興がされたので、フミはその頃前示フミの財産を控訴人善啓に贈与する目的で、右トモに対し同年一二月六日付で前示分筆前の土地及び同地上の建物二棟につき所有権移転登記を了した(但し、右所有権移転登記に当つては右土地及び建物を売買するという形式がとられた。)。更に、昭和一〇年一二月九日控訴人善啓(満一年九月)と右トモとは養子縁組をし、同控訴人を川畑家の後継ぎとする形式が整えられた。
そして、昭和一二年一月二七日トモが死亡し控訴人善啓がその家督相続人となつた。その後、昭和一二年三月四日親族会員山本常次郎、立山タカ、馬場セイは未成年者である控訴人川畑善啓の後見人に実父の髙山清蔵、後見監督人に前示渡辺フミを選定する旨の親族会決議を了した(<証拠>)。
なお、控訴人善啓は右養子縁組後も引き続き髙山清蔵の子として養育されて成人し、川畑家の跡取となつたのはただ戸籍上のみであつた。
(<証拠>略)
〔5〕 フミは川畑家の跡取となつた控訴人善啓に前示分筆前の土地と同地上の二筆の建物を贈与する目的で前示のとおり登記簿上昭和一一年一二月六日フミからトモに売買を原因として所有権移転登記を了したが、控訴人善啓はトモの家督相続に伴い昭和一七年七月一五日付でトモからの相続による所有権移転登記を経由した(<証拠>略)。
〔6〕 昭和一六年頃山本常次郎は前示〔3〕によりフミから無償使用を許されていた分筆前の土地上の建物一棟から鹿児島市荒田町の内妻原口セイ宅に転居し、その後右建物には常次郎の子チヱとその夫で被控訴人らの先代である山本利隆が居住していた。(<証拠>略)
〔7〕 ところで、山本常次郎は自己の発案で前示〔4〕のとおり控訴人善啓を川畑家の跡取にしたけれども、同人をトモと養子縁組させた昭和一〇年一二月九日から僅かに二年四ケ月経過した昭和一三年三月五日に自己の孫に当る被控訴人常利が出生したところから、控訴人善啓を川畑家の後継ぎにしたことを悔い、何とか前示のとおり既に同控訴人の所有名義になつていた分筆前の土地を控訴人善啓と被控訴人常利とで折半し、その各二分の一をそれぞれに分配したいものと考え、その意向を当時存命中で分筆前の土地を実質上支配し、名義上の控訴人善啓に代つて実質的所有者として振舞つていた渡辺フミにも話し、またその意向を内妻原口セイや娘婿で被控訴人らの実父である承継前の被控訴人山本利隆にも伝えていたし、控訴人善啓の実兄石川啓助もこれを仄聞している。(<証拠>略)
〔8〕 第二次大戦の戦災により被控訴人らの先代の前示山本利隆居住の建物が焼失したので、戦後昭和二一年二月一六日頃同人は建築着手届を鹿児島市長に提出して<証拠>、原判決添付別紙第二目録記載の増築前の木造板葺平家建居宅一棟建坪一二坪二合五勺(以下、増築前の本件建物という)を本件土地上に建築した。菱刈方面に疎開していた髙山清蔵、フチ、控訴人善啓らは同年九月に帰郷してはじめてこれを知つた。
被控訴人らの先代山本利隆は、同年一〇月三一日までに分筆前の土地につき換地処分に関連して所有者を控訴人善啓としてその押印を受け、権利の種類住宅、権利の残存期間五ケ年、地代一ケ月三〇円、とする借地権の権利指定に関する届出を鹿児島市長あてに提出している(<証拠>)。
そして翌昭和二二年四月二一日被控訴人らの先代山本利隆は、分筆前の土地につき土地所有者たる控訴人善啓の押印のある換地予定地明示願を鹿児島市復興部長に提出して境界の明示を求め(<証拠>)、同年七月七日鹿児島市長は控訴人善啓あてに換地予定地指定書を送付しているが、その願出人は右山本利隆である(<証拠>)。
右山本利隆は、分筆前の土地に昭和三〇年九月二九日土地区画整理法八五条の借地権の申告書を控訴人善啓と共に出頭して鹿児島市長あてに提出している。(<証拠>略)
〔9〕 昭和二五、六年頃被控訴人らの先代山本利隆は金属等回収業で裕福であつたところから、当時喫茶店営業等が不振で困窮していた控訴人の実父髙山清蔵に懇請され、昭和二五年一一月一六日三万円、同年一二月七日六万円、昭和二六年二月三日七万円の合計一六万円を利息、期限の定めなく貸付けた。
(一六万円の貸付の事実は当事者間に争いがない。<証拠>略)
〔10〕 昭和二九年一〇月一九日頃から昭和三四年三月一七日頃までの間、被控訴人らの先代山本利隆は控訴人善啓に代つて分筆前の土地ないし同控訴人所有建物につき昭和二九年度分から昭和三三年度分の固定資産税等と昭和二六、二七年度の同税等の滞納分を支払つている(<証拠>)。
〔11〕 昭和三四年四月二〇日頃、控訴人善啓はその頃までに実父髙山清蔵が終戦後始めた喫茶店、土産品小売商等の事業が行詰り、三〇〇万円以上の負債の返済に窮していたところ、被控訴人らの先代山本利隆も、事業不振で経済的に困窮していたので、再三前示〔9〕の貸金一六万円の返済と、前示〔7〕のその養父山本常次郎の分筆前の土地を二等分して控訴人善啓と山本家とで分けて欲しいとの願望をからませて、分筆前の土地の分筆を控訴人善啓及び高山清蔵に対し要求していた。
他方、右髙山清蔵や控訴人善啓は、右山本利隆や前示事業の債権者らに対する債務の返済と事業資金を作るため分筆前の土地を銀行等の金融機関に担保に供する必要に迫まられ、それには、右土地上に右山本利隆が前示〔8〕により建築していた増築前の本件建物が二階建に増築され、原判決添付別紙第二目録記載の木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二七坪五合七勺外二階四坪(以下、本件建物という)があると担保価値が低下するので、分筆前の土地をこの建物のある部分と空地部分とに分割し、空地部分を控訴人善啓の所有に確定してこれを担保に入れ融資を受けたいと考え、これと併せて前示山本利隆の要求にも答えるため分筆前の土地を二等分に分割する目的で、控訴人善啓が前同日(四月二〇日頃)司法書士岩下徳助の事務所に勤務する土地家屋調査士福元勲を伴い分筆前の土地に赴き、本件建物にいた被控訴人らの先代山本利隆と話合いのうえ、同人立会の下にこれを横割に二等分することとし、但し道路に面しない裏の部分には表道路に通ずる通路を設けることにして、原判決四枚目表記載の分割図面のとおり、各七二・九三坪(換地面積五三・四〇坪)となるように分割前の土地を本件土地と分割地とに分割し、右福元及び後刻出頭した右岩下らに分割手続を委任し、同月二四日その分筆登記を了した。(<証拠>略)
〔12〕 同年(昭和三四年)五月四日控訴人善啓は前示のとおり分割した分割地につき鹿児島相互信用金庫に債権元本極度額四〇万円の根抵当権設定登記をし、次いで同月一五日有限会社山井商事に債権元本極度額五〇万円、同年一〇月一四日右信用金庫に債権元本極度額一〇万円の各根抵当権設定登記を了したが、本件土地には何らの担保権設定もしていない(<証拠>)。
なお、控訴人善啓は右有限会社山井商事に対する根抵当権設定登記の際、同会社の代表者玉利國武に対し、分筆前の土地全体は未亡人のおばさんの所有地で自分は養子としてその半分の本件土地を貰い、他の半分はおばさんの娘に譲つているので、裏の部分に当る本件土地にしか抵当権を設定できないなど曖昧なことを述べ、表半分の本件土地に対する抵当権の設定を断つている(<証拠>)。
〔13〕 同年同月(昭和三四年五月)二〇日頃、被控訴人らの先代山本利隆は市販の売渡証書用紙を持参して髙山清蔵方を訪れ二階にいた同人に前示〔9〕の貸金一六万円の元利金の支払のため分筆された本件土地で決済することを話し、その了解を得て階下にいた控訴人善啓同席の下にその実兄石川啓助にその旨を話したところ、同啓助において右の趣旨で本件土地を売渡代金一六万円で売渡す旨を記載した売渡証書を作成し、控訴人善啓の住所氏名を記入して押印したうえ宛名を右山本利隆としてこれを同人に手交した。なお、同人は、本件土地の地番が未だ分らないため、坪数を控訴人善啓に聞き右石川啓助がこれに五三坪四合と記載したのみである。
ところで、右山本利隆としては右売渡証書の授受によつて完全に本件土地の所有権が自己に移転し、決済手段としての代物弁済を得たと考えていたのに対し、石川啓助や髙山清蔵、控訴人善啓の側では右貸金一六万円の担保のため所有権を移転するにすぎず、これに若干の利息金相当の礼金を支払えば控訴人善啓の側で処分することができると考えていた。(<証拠>略)
〔14〕 昭和三六年四月頃、被控訴人らの先代山本利隆は原田セイを通じ本件土地を他に売渡すことを不動産仲介業者の迫田新助に頼んだが、同人が調査したところ本件土地は分筆前の土地と共に登記簿上控訴人善啓の所有名義になつていることが判明したところ、右山本利隆は同控訴人の父髙山清蔵に話し一括して売つて貰いたいというので右髙山にその旨を伝えたところ同人もこれに同意し売却方を依頼した。他方、同年二、三月頃不動産仲介業者奥武男は右髙山清蔵の債権者であつた知合の塩辛屋の岩切寛から汽車の中で本件土地及び分割地の全部を早急に売つてくれないかとの依頼を受けたので、その四、五日後右山本利隆を訪ねたところ、誰れがそんなことをいつたかと物凄い剣幕で追い返されたが、右岩切に再確認し再び同業者岩崎行雄と共に右山本利隆を尋ね話合つたところ今度は売渡に同意したのでこれを売りに出し田中コンクリートに坪七、八万円で本件土地のみを売る話を進めていたが、山本利隆の立退の時期とか、代金決済日の遅延の問題で話が成立しなかつた。
(<証拠>略)
〔15〕 同年(昭和三六年)四、五月頃山本常次郎の内妻である原口セイ方二階において、被控訴人らの先代山本利隆、控訴人善啓とその実父髙山清蔵、実母髙山フチ、原口セイ及び仲介業者の迫田新助が話合つたところ、迫田の仲介で南日本木材株式会社に本件土地と分割地とを一括して六〇〇万円で売れそうなので、これを山本利隆の方が三五〇万円、控訴人善啓の方で二五〇万円に分配しようとの話がでたが、髙山清蔵の方で代金を二等分して欲しいが、その案でもよいと述べたところ、これに答えて山本利隆は自己が四〇〇万円、髙山が二〇〇万円であるとして譲らなかつたため、話がまとまらなかつた。(<証拠>略)
〔16〕 同年(昭和三六年)七月六日頃控訴人善啓の父髙山清蔵の債権者である城南商事の事務所において、控訴人善啓、髙山清蔵から負債の処理、本件土地、分割地の処分を一任されていた石川啓助、被控訴人らの先代山本利隆、城南商事の安田徳一、岩切一二、松元辰雄、前示不動産仲介業奥武男らが参集して話合い、右松元が記載したメモ<証拠>に基づき作成した次の債務以外は貴殿に迷惑はかけませんという旨の確約書<証拠>に石川啓助が控訴人善啓の記名押印をしてこれを完成したうえ、山本利隆に渡した。
なお、その際、奥武男から、本件土地と分筆残地を一括売却し、代金六〇〇万円のうち三五〇万円を山本利隆がとり、控訴人善啓が二五〇万円貰うが、それでも髙山清蔵の借財の支払に約八〇万円が不足するので、これを山本利隆から控訴人善啓に対し貸付名義で引渡すものとする、要するに山本利隆が二七〇万円、控訴人善啓が三三〇万円の割合で右土地代金を分配するとの約定が成立したが、結局右土地の売買が具体化せず右約定は実行されなかつた。(<証拠>略)
記
(1) 鹿児島相互信用金庫 五〇万円
(2) 木村業太郎 一五万八、〇〇〇円(内金八、〇〇〇円は金利)
(3) 銀屋商事 七二万五、〇〇〇円(内金八万円は金利)
(4) 山井商事 五〇万五、〇〇〇円(内金五、〇〇〇円は金利)
(5) 市民税等 四万円
(6) 城南商事 三〇万円
(7) 奥武男(実質は塩辛屋の岩切寛)二六万円
(8) 坂上文旦堂 八五万円
以上合計 三三三万八、〇〇〇円
〔17〕 同日頃(昭和三六年七月六日頃)までに控訴人善啓、実兄石川啓助、実父髙山清蔵らは債権者である金融業者の城南商事や土産品製造卸商坂上文旦堂に本件土地、分割地を一括売却処分してその売買代金で負債を整理する旨を話していたが、その売却処分が前示〔15〕〔16〕のとおり進捗しないで困つていた。
〔18〕 同日頃(昭和三六年七月六日頃)、城南商事の従業員岩切一二の紹介で同人及び坂上文旦堂の坂上勝己らの勧めに従い不動産業者で他人の紛争物件を買受けたり、買受名義で自己にその所有名義を移し訴訟その他の方法で他人の紛争に介入することを業とするいわゆる事件屋として鹿児島市方面で暗躍し、昭和三五年一二月二三日には鹿児島県弁護士会で非弁護士として同人から事件の鑑定紹介、依頼を受けない旨常議員会の決定がなされている控訴人会社の代表者久保祐吉を知り、控訴人会社に対し石川啓助は控訴人善啓を代理して、本件土地及び分割地はすべて控訴人善啓の所有であるとしてこれを他へ売却してその売買代金で前示〔16〕の債務等を弁済しその債務整理を依頼するにいたつた。
なお、その際、石川啓助は前示〔16〕の確約書を持参して控訴人会社の代表者久保祐吉に手交すると共に、右土地全部の売却のため、本件土地上に存する本件建物を収去明渡させる目的で、居住者である被控訴人らの先代山本利隆に対する立退料として、前示〔9〕の貸金債務一六万円の一〇倍に当る一六〇万円を支払う必要があり、かつ前示〔16〕の約定のある山本利隆には無断で同人に対する債権債務の清算はその支払をもつて十分であると独断し、右一六〇万円を控訴人会社が負担し、穏便に明渡を完了するように求めた。
これに対し、右久保祐吉は、控訴人会社が土地の売却、債務整理を引受けるので安心して貰いたい旨答え、石川啓助らの申入れを控訴人会社を代表して承諾した。
そして、控訴人会社は右石川啓助らとの間で、本件土地及び分割地は全部で当時金六〇〇万円程度の価値があることを前提として、前示髙山清蔵の債務を支払い整理してもなお残余金が生ずるが、控訴人会社に対する報酬や費用などを考慮して、残余金のうち金五〇万円を控訴人善啓に支払い、他は控訴人会社が取得するとの合意がなされた。
このように右久保祐吉が右土地の売買に乗り出すに及び従来これに関与していた迫田新助、奥武男らの不動産業者は悉く手をひくにいたつた。(<証拠>略)
〔19〕 同月(昭和三六年七月)一三日控訴人会社代表者久保祐吉は旅館鹿児島荘応接間で坂上文旦堂の専務取締役坂上勝己らと会合し、「久保の名前にしたら大概かたがつく、債務整理のためまず本件土地、分割地を控訴人会社の名義にしたい」と要求し、同人の了解を得るや、今度は債務整理のため一、二月間債権者に対する決済資金の融通を求め、坂上文旦堂から約一〇〇万円を立替払金名下に取得した。
そして、その後同月二七日頃右久保祐吉らが石川啓助を訪問し、右久保が同人に「おれのいう通りに書け」といつて「金五〇万円(現金三〇万円―昭和三六年七月二八日付宮崎相互銀行保証小切手、約束手形二〇万円)を本件土地、分割地等の売買代金として領収し、右不動産の売買は債務負担付(公簿上)であるから右金員受領と同時に全額完了」の旨の領収書を作成させ、立会人として髙山清蔵、石川啓助の記名押印を徴収したうえ、作成名義人を控訴人善啓としてその署名押印を貰いたいと要求し、石川啓助に同人が保管していた控訴人善啓の実印及び同日付で交付を受けた印鑑証明書を入院先の今給黎病院に届けさせたうえ、同病院に入院中の控訴人善啓を訪ね、右領収証一通<証拠>を完成させてこれを持ち帰つた。
控訴人善啓としては前示〔18〕のとおり債務整理のため所有名義を控訴会社に移すのに必要であるとの実兄石川啓助からの連絡に従い署名押印したものである。(<証拠>略)
〔20〕 同月(昭和三六年七月)二八日控訴人会社は本件土地、分割地につき同月二七日控訴人善啓からの売買を原因として所有権移転登記を了した(<証拠>略)。
右認定に反する<証拠>に照らし遽かに措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠がない。
(二) 分割前の土地の共有関係存否の検討
前認定〔1〕ないし〔8〕の事実、とくに〔4〕、〔5〕の事実を考え併せると、分割前の土地はもと渡辺フミが明治二九年三月一八日久木田八郎右衛門から買受けたものでこれを川畑家を再興したトモへ所有権移転登記をしたうえ同家の跡取とした控訴人善啓に贈与し、トモを家督相続した控訴人善啓は単独でその所有権を取得したが、登記簿上は川畑家の選定家督相続人となつたトモへの売買、トモの養子となつた控訴人善啓がトモを相続しその所有権を取得した形式となつているものであつて、被控訴人ら主張の請求原因二項のように分割前の土地が山本常次郎と川畑トモとの共有であり、その後のそれぞれの相続により被控訴人らの先代山本利隆と控訴人善啓の共有となつたとの事実が認められないことが明らかであり、前示措信しない、原審証人山本常利の証言、原審における承継前の被控訴人山本利隆本人尋問の結果の各一部のほか、これを認めるに足る的確な証拠がない。
したがつて、前認定〔11〕の昭和三四年四月二四日登記ずみの土地の分割が共有物分割協議に基づく共有物の分割に当るという被控訴人ら主張の請求原因四項はその前提において失当である。
(三) 和解契約による本件土地の所有権取得の検討
前認定〔7〕ないし〔16〕の事実を考え併せると、前認定〔11〕のとおり昭和三四年四月二〇日頃控訴人善啓が司法書士、土地家屋調査士を伴い被控訴人らの先代山本利隆の立会の下にこれを横割に面積を正確に二等分したのは、同人の養父山本常次郎の前示〔7〕の願望と前示〔9〕の貸金一六万円の元利金返済に関連して、紛争を互譲により予め解決するため同貸金の代物弁済に準じ売買名下に本件土地の所有権を右山本利隆に移転するが、右四月二〇日当時、本件土地を分割地と共に一括して売却し、その売買代金を折半して清算するとの特約を付した和解契約類似の契約がなされていたが、その後右分配割合につき紛争が生じ紆余曲折を経て前示〔16〕のとおり右山本利隆が六〇分の二七、控訴人善啓が六〇分の三三の割合で右土地の一括処分後の売買代金を分配することに変更する旨合意されたことが認められ、前示措信しない証拠のほか右認定を覆すに足る証拠がない。
そして、右認定の事実によると、本件土地は昭和三四年四月二〇日頃和解類似の契約により代物弁済に準じた契約が成立し、所有権が右山本利隆に移転したが、それには本件土地を分割地と共に一括売却処分し、これを前示割合により分配するとの特約があつたものというべきである。
なお、債務の履行に関し債権者に対して不動産の所有権移転契約がなされる場合、それが完全な債務決済手段である清算を要しない代物弁済契約であるか、所有権移転後もなお既存債権を存続させ、債務者が弁済をしない場合にその所有権で満足を受けることを目的とする譲渡担保ないし債権担保の性質をもつ処分清算型の代物弁済契約であるのかは慎重な認定を要するところであるが(最判昭和四一・九・二九民集二〇巻七号一四〇八頁参照)、前認定〔7〕ないし〔16〕の事実を考え併せると、前示のとおり本件では単に債務の履行のためだけに限らず、分筆前の土地の分割願望を廻る紛争の解決のためなされたもので、しかも本件土地のほか分割地を含め一括処分しこれを一定の割合で分配し清算するとの特約がある特殊の処分清算型の代物弁済契約に類する契約であると解するのが相当である。
したがつて、本件土地は被控訴人ら主張の請求原因六項にいう和解契約に類する契約により昭和三四年四月二〇日頃ないし前認定〔13〕の同年五月二〇日頃その所有権が控訴人善啓から被控訴人らの先代山本利隆に移転したものというべきである。
なお、請求原因六項では、右分割の話合いを同年二月二〇日と主張しているが、これは丙第一〇号証の分筆登記の日(四月二四日)を二月二四日と誤解したことに基づく誤記であり、弁論の全趣旨に照らし右の二月二〇日は分筆測量の日を指すものと解されるから、真実の測量日である前示〔11〕の同年四月二〇日頃をいうものと解すべきである。
三控訴人善啓、控訴人会社間の本件土地売買の効力について
被控訴人ら主張の請求原因七項中、控訴人善啓が本件土地を分割地と共に一括して昭和三六年七月二七日控訴人会社に売渡し、その売買を原因とする同月二八日受付の所有権移転登記が経由されていることは前示第二の一(八)のとおり当事者間に争いがないところ、被控訴人らは右売買が仮装売買であり、また弁護士法七三条に違反するもので無効である旨主張し、控訴人らはこれを否認するので以下この点につき検討する。
(一) 仮装売買の検討
前認定〔16〕ないし〔20〕、とくに〔18〕〔19〕の事実を考え併せると、控訴人善啓は実兄石川啓助を代理人として控訴人代表者久保祐吉との間に昭和三六年七月二七日になされた実父髙山清蔵及びその連帯債務者たる控訴人善啓の債務整理の約定のもとにその整理の目的で本件土地を他へ高価で売却するため便宜上売買名義でその所有権移転登記をしたものであることが認められるのであつて、控訴人会社は控訴人善啓からの債務整理の委託の趣旨に従つてのみこれを処分すべき債務を負担するもので控訴人会社主張のように完全な売買であるとはいえないけれども、本件土地の所有権は必ずしも仮装売買として無効ないし不存在であるとはいえず、いわゆる信託的売買として信託的所有権移転を伴うものであるというべきである(大判大一三・一〇・二〇新聞二三三一号一九頁参照)。
したがつて、本件においては、本件土地の右売買による信託的所有権移転が当事者間の内部関係では本件土地の所有権を控訴人会社に移転するものでなく、登記簿上の所有名義のみを控訴人会社に移転させる特約があつたとの特段の事情の主張がないから、本件土地の所有権は右売買により控訴人会社に移転したという控訴人会社の抗弁は理由があり、右売買が仮装売買として無効であるという被控訴人ら主張の再抗弁はその理由がなく、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。
(二) 弁護士法違反の検討
1 事実の認定
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
〔21〕 昭和二五年頃から控訴人会社の代表者である久保祐吉は鹿児島市内において個人で不動産業を始めたが資金に不足し、昭和二七年頃からは主として裁判所の競売不動産を扱うようになり、昭和二九年頃から次第に右不動産業の傍ら裁判係属中の不動産等の権利や賃借権、抵当権等が設定され紛争中の不動産等の権利を譲り受け訴訟その他の手段によつてその権利を実行することを業としていたが、昭和三一年九月五日に至り税金対策等の必要上家族を役員として不動産売買等を目的とする控訴人会社(有限会社久保商店)を設立してその代表取締役となり昭和三四年一〇月二五日頃からは同会社名義で前示業務を継続しているものであるが、同会社は実質的に久保祐吉の個人会社で、両者は一心同体の関係にあつた(<証拠>略)。
〔22〕 久保祐吉が前示のとおり個人又は控訴人会社代表者として昭和二九年から昭和三五年までの間に行なつた前示〔21〕の紛争中の権利の譲り受けとその実行をなす業務として次のようなものが認められる(<証拠>略)。
(イ) 昭和二九年五月二一日久保祐吉は鹿児島地方裁判所昭和二九年(ヨ)第六五号不動産処分禁止等仮処分命令申請事件として係属中の被保全権利である貸金債権と抵当権を譲り受けて自ら債権者として同年一一月二九日同裁判所に右抵当権に基づき不動産競売の申立をなすとともに右仮処分被申請人らを相手方として賃貸借契約解除等の訴訟を提起した(<証拠>)。
(ロ) 同年(昭和二九年)五月三一日久保祐吉は当時鹿児島地方裁判所に昭和二九年(ヌ)第三〇号不動産強制競売事件として係属中の目的不動産を買受けて強制競売の剰余金交付申請をした(<証拠>)。
(ハ) 昭和三〇年三月二二日久保祐吉は当時右同裁判所に昭和二九年(ワ)第九二号所有権移転登記請求事件として係属中の不動産を買受けて右訴訟に当事者参加し、次いで同年(昭和三〇年)一〇月三日右事件の被告から目的不動産を譲り受けた者に対し土地所有権移転登記抹消請求の別訴を提起した(<証拠>略)。
(ニ) 昭和三二年二月二五日久保祐吉は宅地を買受け同地上に地上権を有する者を被告として鹿児島地方裁判所に地上権設定登記抹消登記手続請求訴訟(同裁判所同年(ワ)第六六号)を提起した(<証拠>略)。
(ホ) 昭和三二年七月五日久保祐吉は控訴会社を代表して建物を競落して第三者に売渡し、次いで右建物の敷地を競落し、同敷地に法定地上権を主張し仮処分をした第三者に対し右法定地上権の不存在を主張して鹿児島地方裁判所に起訴命令を申請した(<証拠>略)。
(ヘ) 昭和三三年一〇月一五日久保祐吉は宅地を競落し、同地上の建物所有者に対し同月二八日右同裁判所に建物収去土地明渡等請求の訴(同裁判所同年(ワ)第三四三号)を提起した(<証拠>略)。
(ト) 昭和三五年三月一一日久保祐吉は控訴人会社を代表して裁判上の和解により収去の対象とされている建物を買受け、土地賃貸人と示談交渉をした(<証拠>略)。
〔23〕 昭和三六年七月二七日前認定〔19〕のとおり控訴人会社は控訴人善啓から負債整理の目的で紛争中の本件土地、分割地を一括して信託的譲渡を受けてこれを買い取り、その翌日前示〔20〕のとおりその旨の所有権移転登記を了した。
〔24〕 同月(昭和三六年七月)二九日頃控訴人会社は前示〔19〕の約定により控訴人善啓に支払うべき五〇万円を同人に支払わず、これを三〇万円の保証小切手と二〇万円の控訴人会社振出の約束手形(同日振出、同年八月三一日満期)にして城南商事の松元辰雄に交付した。その後、控訴人善啓らが城南商事にその返還を求めたところ、城南商事は競売物件(有体動産)の買戻金約五万円を差引き約二五万円を返済したが、残金二〇万円は本来控訴人会社において負債整理を行なう約定であつた城南商事の控訴人善啓ないしその実父髙山清蔵に対する債権と相殺され、返済を受けられなかつた(<証拠>略)。
〔25〕 同年(昭和三六年)八月一四日控訴人会社の代表者久保祐吉は本件土地上にある本件建物の登記簿上の所有名義人が大阪市浪速区内の西田卯三郎であることを知るや、同人が実質的所有者でなく被控訴人らの先代山本利隆の所有である旨同人が再三主張していることを十分承知しながら、右山本利隆に内密にして右西田を被告として鹿児島地方裁判所に本件建物収去本件土地明渡請求の訴を提起し(同裁判所同年(ワ)第一九三号)、これと前後して同月一九日付で同裁判所から右西田を被申請人として処分禁止の仮処分決定を取得してその執行をした。
同年一〇月一一日同訴訟事件は右西田が本件建物につき実質的権利を有せず無関心であつたところから、西田欠席のまま終結されたうえ控訴人会社勝訴の欠席判決が出された(控訴人会社が右欠席判決を得たことについては前示第二の一(ハ)のとおり当事者間に争いがない)。(<証拠>略)。
〔26〕 その頃(昭和三六年一一月頃)控訴人会社から依頼され本件建物収去の下見に来た大工に前示欠席判決のことを聞知した被控訴人らの先代山本利隆は驚愕し、急拠右西田の承諾を得て同人名義の控訴状を提出し辛らくも右判決の確定を免れた。
ところが、狡智な控訴人会社代表者久保祐吉は当時老令で病床にあり同年一二月二四日に死亡した西田卯三郎の勤務先の社長である尾川原修一と談判して、同人との間で右西田から同月二一日に本件建物を買受けた形式を整え、昭和三七年一月一〇日右西田卯三郎の相続人西田以登、西田堅太郎名義の控訴取下書を取得してこれを提出し、同月一八日控訴人会社は前示のとおり本件建物を既に買受けている筈であるのに今度は右欠席判決の確定証明と執行文付与を受け、右確定判決及び仮処分をかかげて右山本利隆に本件建物からの退去を要求し、次いで昭和三七年三月一九日受付で本件建物につき右西田卯三郎からの売買を原因として所有権移転登記をした。
そして、昭和三七年三月五日右山本利隆は右西田以登、西田堅太郎を被告とする本件建物につきなされている昭和二七年五月七日受付の売主山本利隆、買主西田卯三郎間の売買を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続請求事件につき、鹿児島地方裁判所で山本利隆勝訴の欠席判決を得た。これに対し、控訴人会社代表者久保祐吉は支配人早出勝人をして弁護士を選任させ西田以登、西田堅太郎名義で控訴させたが、その訴訟代理権が争われるに及び昭和三七年九月三日控訴人会社は前示本件建物の買受けを理由として右控訴事件に独立当事者参加して訴訟を行なつている(<証拠>略)。
〔27〕 他方、控訴人会社は前示〔18〕〔19〕により髙山清蔵らの負債整理のため信託的に買受けた本件土地及び分割地の処理に関連して、昭和三六年八月二三日頃城南商事の松元辰雄、岩切一二が控訴人善啓の実兄石川啓助から前示〔16〕〔18〕のお礼の趣旨で本件建物の奥の分割地上にあつた控訴人善啓所有の木造平家建三坪七合五勺の建物を貰い受けるや、これを代金一万円で買受けた(<証拠>略)。
〔28〕 同年(昭和三六年)一〇月四日頃控訴人会社は木村業太郎に対し、同人の申立にかかる昭和三六年(ヌ)第四〇号不動産強制競売事件につき同人の髙山清蔵に対する貸金二一万余円(元金一五万円と法定利息金)を一八万円に減額させ、これを支払つて示談し競売の取下げを受けた(<証拠>略)。
〔29〕 同年(昭和三六年)一〇月三一日控訴人会社は前示〔18〕の約定に従い山井商事に対し債権全額五〇万五、〇〇〇円を支払うべきところ、内金三〇万円のみを支払つた(<証拠>略)。
〔30〕 そのため同年(昭和三六年)一一月二八日山井商事は分割地につき残額債権三〇万円に基づき競売法による競売を申立て、翌三七年一二月一〇日山井商事の代表者玉利國武がこれを九五万円で競落した(<証拠>略)。
〔31〕 控訴人会社代表者久保祐吉は昭和三〇年一〇月一二日福岡高等裁判所宮崎支部で有印私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、有価証券偽造、同行使罪により懲役一年に処せられ、右判決は上告棄却により昭和三六年一〇月四日確定し、収監命令を受けて昭和三七年四月二日頃服役した(<証拠>略)。
〔32〕 このようにして、控訴人善啓の父髙山清蔵の大口債権者である坂上文旦堂は自己の債権の回収ができないばかりか、前示〔19〕により債権整理のため控訴人会社に拠出させられた約一〇〇万円の金員まで回収不能となる虞れが濃厚になつたため、急拠控訴人会社の支配人として控訴人代表者が服役中、同人と連絡しながら、その事務を取り仕切つていた早出勝人と交渉し、前示〔29〕により競落された分割地を取戻すため、急拠同年(昭和三七年)一二月一九日山井商事に金二〇万円を支払い、同月二一日競落許可決定の取消決定を取得すると共に(乙第四八号証)、同月一九日鹿児島相互信用金庫に四八万九、一九七円の貸金残金を弁済した。もつとも右弁済金は一たん坂上文旦堂が保証したうえ、融資を受けたものであるが、最終的には同社の負担で支払がなされた(<証拠>略)。
〔33〕 昭和三八年一月一六日坂上文旦堂は右早出と話合いのうえ、鹿児島簡易裁判所が控訴人会社ないしその代表者久保祐吉の悪評を知り即決和解期日をなかなか指定してくれないので、これを急ぐため加治木簡易裁判所で即決和解をし、売買予約を原因として本件土地、分割地につき所有権移転請求権仮登記を経由した(<証拠>略)。
〔34〕 昭和四一年五月六日控訴人会社代表者久保祐吉は鹿児島地方裁判所で本件土地、分割地及び本件建物を前示〔18〕〔19〕〔23〕及び〔26〕のとおり買受けた事実につき、弁護士法七三条違反の罪により懲役一年に処せられ、昭和四四年三月六日当裁判所支部で控訴棄却されて、これがその頃確定し服役した(<証拠>略)。
右認定に反する<証拠>に照らし遽かに措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠がない。
2 検討
右〔21〕ないし〔34〕の事実と前示〔18〕ないし〔20〕の事実、並びに弁論の全趣旨を考え併せると、控訴人会社から控訴人善啓への本件土地の売買契約当時、控訴人会社はその代表者である久保祐吉の個人経営で同人と一体となつて、他人の権利を譲り受け訴訟その他の手段によつて、その権利の実行をすることを業としていたもので、本件土地の売買も右業務の一つとしてなされたものと推認でき、前示措信しない証拠のほか右認定を覆すに足る証拠がない。弁護士法七三条は何人も他人の権利を譲り受けて、訴訟その他の手段によつて、その権利の実行をすることができない旨を定め、これに違反する行為は同法七七条によつて刑罰に処せられる。
そして、同法七三条は主として世上三百代言、事件師等と称される者など法律事務に明るい者が、業として、これにうとい一般人の弱点に乗じ悪辣な行為に及ぶことなど濫訴の弊を防止する趣旨に出た規定であつて、必ずしも、右の違法な業としての権利実行と離れて、独立に権利の譲り受けそのものを禁止しその私法上の効力を否定する法意まで含むものとはいえない(大判昭一五・一二・一〇判決全集八輯五号一六頁参照)。
しかしながら、弁護士法七三条違反の業務の一環として訴訟その他の手段による権利の実行をなすことを目的ないし動機として他人の権利を譲り受ける行為は、その動機が前示のとおり刑罰法令に触れる違法なものであるから、この不法動機が権利譲受行為の条件ないし内容となつているか、これが表示される等して当事者双方が不法動機を覚知している場合には民法九〇条により無効であると考える(最判昭和三六・四・二七民集一五巻四号九〇一頁参照)。
前認定〔18〕〔19〕に照らすと、控訴人善啓と控訴人会社の本件土地の売買に当り、控訴人会社がそれを右のような弁護士法七三条違反の権利実行の業として行なうことが表示され、それが本件土地売買の条件ないし内容となつていたものであり、少なくとも当事者双方がこれを覚知していたことが明らかであるから、本件土地の売買は控訴人善啓、控訴人会社間で弁護士法七三条、民法九〇条に照らし無効であるというべきである。
それのみならず、弁護士法七三条によつて禁止されている他人の権利を譲り受けて訴訟その他の手段によつてその権利の実行を業とすることは前示のとおり違法な犯罪行為であつて、法人はこれをその目的とすることはできないものである。
そして、前認定のとおり控訴人会社は昭和三一年九月五日設立された不動産売買等を目的とする有限会社であつて、本件土地の控訴人善啓からの譲り受けも同会社が昭和三六年七月二七日その業務行為の一部として前示違法な権利の実行をなす目的をもつて行なわれたものであるから、その譲受行為は控訴人会社の適法な目的の範囲外に属するものであつて、前示のとおり売買契約当事者双方が右違法な業務を覚知していた以上、その効力を生ずるものでなく無効であるというほかない(大判昭和一五・七・六民集一九巻四号一一五七頁)。
第三結論
以上のとおり、被控訴人らの先代山本利隆は控訴人善啓から昭和三四年四月二〇日頃の和解契約類似の契約に基づき本件土地の所有権を取得したものであつて、被控訴人らはこれを相続したものであるから、被控訴人らの控訴人会社に対する抹消登記手続の請求はその余の判断をするまでもなく、正当としてこれを認容すべきものである。次に、被控訴人らの控訴人善啓に対する第一次的請求である共有物分割による所有権移転登記手続の請求はその前提である本件土地の前示山本利隆と控訴人善啓の共有関係が認められないから、これを失当として棄却すべきであるが、第二次的請求である前示契約に基づく所有権移転登記手続請求は理由があるから、これを認容すべきである。
よつて、これと同旨の原判決は結論において結局相当であつて、控訴人らの本件控訴はその理由がないからこれを失当として棄却することとし、なお、原判決主文第一ないし第三項中の「原告」の表示は被控訴人らの訴訟承継により当然に本判決主文第二(一)(二)項のとおり変更され、かつ主文第三項の契約年月日は前示のとおり明白な誤記であるから、本判決主文第二(二)項のとおりこれを更正し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官吉川義春 裁判官甲斐 誠 裁判官玉田勝也)
第一目録
(換地前の表示)
鹿児島市樋之口町一二〇番
一、宅地 七二坪九合三勺
(但し換地面積 五三坪四合)
(換地後の表示)
鹿児島市樋之口町五番三六
一、宅地 一七六・五二平方メートル